(下記はアメリカ東部標準時間です)

©︎Moto Suzuki

©︎Moto Suzuki
9.11 in the Bahamas
9月7日(金)
成田、関空、名古屋などから深夜到着便で続々と参加者のみなさんがフロリダのフォート・ローダーレール(マイアミから車で30分ほど北)に到着。市内のホテル泊。
9月8日(土)
ホテルで朝食を済ませ、手配してあった🚐で港へ。
毎年お世話になっていてクルーとも顔馴染みの船「Bottom Time Ⅱ」に乗船し、バハマへ向けて出航。
キャプテンから「今週はハリケーンが来る予報もなく、素晴らしいクルーズになるはずだよ」と言われ、またハネムーンで来られているカップルも2組いて、結婚式は日本でやっているけれど船の上でもキャプテンが船上結婚式をやってくれることにもなっていたので、参加者も私もいつも以上にウキウキモード。
フロリダ半島とバハマ諸島の間には我らが黒潮と並んで世界2大潮流とも言えるGulf Stream(メキシコ湾流)が流れているため、バハマ諸島へ行くにはこの強い海流を横切ることになり、船は揺れる。
まだ飛行機がなく人々が船で行き来していた時代には「バミューダトライアングル」と言われ遭難する船が多く、また「カリブの海賊」の名の通り海賊船も多かったため、海域には多数の船が沈んでおり、魚礁になってダイビングスポットになっていたりする。
「カリビアンクルーズ」をイメージする大型豪華客船とは別に、この辺りには1週間単位で海域をクルーズしながらダイビング三昧するための15人〜30人くらいが寝泊まりできるキャビンがありシェフが3食+おやつを出してくれる船が多数ある。
野生のイルカと泳ぐオペレーションを行なっている船も当時は何隻かあり、私も10年ほどの間に合計5隻の船にお世話になったけれど、大きさもそこそこあり、カタマランで揺れにくく、船内も明るくてキャプテンのイルカに対するアプローチも信頼できるBottom TimeⅡには一番お世話になった。
バハマ諸島の1つグランドバハマ島で入国手続き。
と言っても、船に係員が乗り込んできてパスポートを見せてスタンプを押してもらうという簡単なもの。
通称「ドルフィンサイト」と呼ばれる周りに島影が見えない海域に一部海底が隆起して浅くなっている場所があり、そこにイルカが来ることが多いので、イルカと泳ぐことを目的とする船はここを目指す。
遅い船だとグランドバハマ島から5時間ほど、私たちが乗った船だと3時間ほどで着く。
その海域に着くと「わぁ〜、来た〜! バハマに来た〜」といやがおうにもテンションが上がる絵に描いたような「カリブ海」の美しさ。
海底が白砂で水深が5〜8mと浅く透明度が良いため、薄いブルーの海が果てしなく広がる。
海に入ると「あったか〜い!」とみな声をあげるほど水温も高く、水中に潜ると透明度が良い時はスコーンと何十メートルも透明な薄いブルーが見渡せる。
夕方、早速クルーの「ド〜ルフィ〜ン!」の声。
すぐ海に入る準備ができた数人が海に入ってみるものの、すぐにいなくなってしまった。
9月9日(日)
朝方から雨が降り始め、その後、暴風雨に変わる。
揺れが少ないカタマランとは言え揺れが激しくなり、島陰のないドルフィンサイトにいるのは厳しいということで、もう少し島に近く沈没船に魚が群れているスポットへ移動してシュノーケリング。
14時過ぎにクルーの「ド〜ルフィ〜ン!」の声。
みんな大急ぎでデッキに出ると4頭のマダライルカ。でもすぐにいなくなってしまった。
夕方、再び「ド〜ルフィ〜ン!」。
15頭くらいの子連れバンドウイルカの群れ。赤ちゃんイルカがかわいかったけれど、彼らもすぐにいなくなってしまった。
9月10日(月)
今日は朝から快晴。空には大きな虹。
「お天気がいいから、船上結婚式をやろう」
ということになり、みんなでデッキに集まる。
船のキャプテンは結婚式を執り行うライセンスを持っていて、正式な結婚式と認められるらしい。
ハネムーンで来られた2組のうち1組は初めて参加されたお2人だったけれど、もう1組は女性の方は御蔵島プログラムに初年度から参加されていて、その後にデルフィネスの御蔵島プログラムに参加された男性と同じ回に参加されたことがきっかけで結婚されたカップルで、私はお2人の婚姻届に証人として署名もさせて頂いたので、この2人がバハマでイルカ仲間たちに囲まれて船上ウエディングなんて感無量。
キャプテンがお決まりの「健やかなる時も病める時も、、、」という誓いの言葉を英語で言い、私が通訳し、カップルたちは"I do"と英語で誓いの言葉を。
「ここでイルカが来たら最高なんだけどな〜」
と誰もが思っていたものの、来てくれませんでした、、、💧
でも、午後にドルフィンサイトを離れて少し深い方へ移動すると、たくさんのイルカ!
みんなで海に入るものの、深い、波ある、潮の流れが早い、というイルカと泳ぐのが初めてというビギナーにはなかなかハードなコンディション。
しかもこの船のキャプテンは「イルカを追いかけない」「触らない」(バハマのマダライルカの中には人間に体を触ってもらうのを喜ぶ個体があり、一部の船はお客さんに触らせている)というイルカにストレスをかけないアプローチを徹底していたので、イルカの後ろについて泳いでいると「追いかけるな!」「下に潜れ!」と船の上から怒られる。疲れて水面に浮いていても「ダ〜イブ!」と容赦無く声が飛び、「いやいや、疲れて潜れないから休んでるだけだってば」と思いながら浮いていると、「英語じゃわからないのか」とばかり日本語で「モグって〜」とゲキを飛ばされる😓
なので、御蔵島の荒波、黒潮の速い潮で慣れている人ですら体力的に厳しく、少し泳いでは船に戻って休み、まだイルカがいると海に入る、ということを10回ほど繰り返した。
ヘトヘトになるまで泳げてみんなハッピーだった上、夜は船上ウエディングに続く披露宴。クルーが名前入りのハート型のケーキを用意しておいて下さり、みんなで幸せのお裾分けを頂いてハッピーな1日❤️



その後お二人はお子さんにも恵まれ、幸せなご家庭を築かれています(写真掲載はご本人たちの許可を得ています)
9月11日(火)
早朝、ものすごい雷の音で目が覚めた。
キャビンの窓から外を見ると、もう夜は明けているはずなのに空は雨雲で覆われ、朝なのか夜なのかわからないほど真っ暗で、そこに大きな稲妻が空を切り裂くように海に向かって落ちる。360度水平線で遮るものがないので稲妻の形が全部きれいに見える。
朝食の時間になっても空は真っ暗で土砂降りの雨。
バハマに何度も来ていたけれど、今週のこんな天気は初めて。
なんだか重苦しい雰囲気の中で朝食を食べ、そのままラウンジでまったりしているとキャプテンがおもむろに現れて、
"I have a very bad news."
と。
「もしや、ハリケーンとか熱低ができてしまったのか、、、?」
と覚悟すると、
「8時すぎにニューヨークのワールドトレードセンターに飛行機が墜落した。そして、その後また別の飛行機が隣のビルに突っ込んで、ビルは崩壊し、大勢の人が亡くなったようだ」
と。
TVもラジオもないけれど、船のクルーは無線でフロリダのオフィスのスタッフと連絡が取れるため、スタッフからの連絡で知ったとのこと。
「まだ混乱していて詳細はわからないけど、テロじゃないかと言われているようだ。全米の空港が閉鎖されていて、いつフライトが再開されるのか全く目処が立っていないらしい」
と言われ、究極の浮世離れしたところにいる私たちには頭の中で「マンハッタンの2つの高層ビルに飛行機が相次いて墜落する」というシーンをリアルにイメージすることができず、「自分たちは予定通り日本に帰れるのだろうか?」ということの方が現実的な心配だった。
「日本の家族も心配しているだろう」ということも心配だったけれど、参加者の方々の飛行機チケットの手配などをお願いしていた東京の旅行会社の方が船のオフィスの人と連絡をとり、私たちはみな無事で予定通りクルーズを続けていることをそれぞれの家族の方に連絡してくださっていた。
キャプテンから「このままずっと天気が悪そうなのでビミニ島の方へ移動する」と言われる。
バハマ諸島の1つであるビミニ島周辺にもイルカは棲息しているのだけど、ドルフィンサイトほど透明度が良くなくて水の色もなんとなく緑っぽいので、私たちはドルフィンサイトで泳ぎたかった、、、 でも天候ばかりは仕方ない。
この日はまるで世界中が喪に服しているかのごとく一日中暗いまま、雨が降り、風も吹き、船は揺れ、昨日の明るいバハマの海とは別世界のような重く暗い空気。
ビミニ海域でちょっとシュノーケリングをしたけれど、あとはぼんやり過ごし、夜は私が御蔵島のプログラムを始めた頃、まだ世の中にインターネットというものが出始めてウェブサイトというものもチラホラしかなかった時代に、小笠原へ行ったことがきっかけで海の環境保全の必要性を強く感じて「Sea TV」という海の情報をまとめたウェブサイトを作られたCMやドキュメンタリー監督の猪股さんが作られた小谷美可子さんがイルカと一緒に泳ぐ作品のビデオをみんなで見て、猪股さんが国内外の海でイルカやクジラと会って感じたことなどをお話し頂く。

暗い空にかかったダブルレインボー
9月12日(水)
今日も朝から大雨。雷もすごい。
イルカを探して船を走らせるものの全くイルカを見ない。
「どうせ濡れるんだから雨降ってても関係ない。1日1度は海に入りたい」という人だけ雨の中、沈没船ポイントでシュノーケリング。
島陰にいると船も揺れないので、キッチンを借りてスタッフのMoto君が持ってきてくれたカレールーを使ってランチのカレーを作る。
グルメなMoto君は「タマネギを飴色にするところからやる」ということでタマネギを炒め始めるものの、船のキッチンのコンロはガスではなく電気で、しかも電圧が弱いらしくなかなか飴色にならない。
「この火力じゃパラパラチャーハンとか絶対無理っすね」
などと言いながら2時間近く経過し、いい加減みんなお腹がすいているので納得いく飴色感には到達していないけれど良しとしてジャパニーズカレーの出来上がり。
久しぶりの日本の味に日本人の私たちはもちろん、アメリカ人クルーにも大好評。
夕方まで船を走らせてイルカを探すも全くイルカを見かけることもなく、雨も上がったしということで島に上陸。
数日ぶりに陸地を歩いて「揺れないってすごい。地面ってかたい」と当たり前のことに驚く。
広場のお店をのぞいたりフワフワの白砂ビーチを散歩したり。残念ながらヘミングウェイが常連だったバーは9.11の影響でお客さんがいないということで臨時休業中。

カレー作りは男性チーム

落ち着く日本の味

アメリカ人クルーにも大好評
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スタッフMoto君、猪股さん、三木

キャプテンの奥さんで、シェフとして一生懸命アジア料理を作ってくれたエリカと。

アジアやメキシコで作られたと思われる服や雑貨が売られているものの、粗悪なのに値段はアメリカ本土より高い、、、


アヤシさ満点のbar。中に入ると想像以上にアヤシイ。壁や天井一面にお客さんが自分の下着を脱いでホチキスでとめられるようになっており、それを知っていた参加者の男性は日本から赤フンを持参して貼ってきた。
9月13日(木)
泣いても笑っても最終日。暗くなる前にフロリダへ戻るために午後3時ごろにはバハマを後にしなければいけない。
キャプテンは参加者のみんながはるばる地球の裏側の日本から時間とお金をかけて来ていることをよくわかっているので、
「このままイルカに会えずに終わるのはマズイ。いくら野生だから、自然だからと言っても、キャプテンの名誉にかけても、なんとかしてもう一度イルカと泳がせねば、、、」
と、涙目で船を走らせて必死の捜索。
が、ランチを食べ終わってからもイルカに会えない。
タイムリミットの15時が迫ってくる。
みんなも祈るような気持ちでデッキで海を見つめてイルカを探すも、タイムアップ。
が、キャプテンから、
「本当は15時にはここを出る予定だったけど、夕方までここに残ってイルカを探し、夜中にフロリダに着くように変更する」
と延長ゲーム宣言。
が、しかし陽がかたむき始めてもイルカは現れず、ガックリと肩を落としたキャプテンから、
「本当に本当に残念だけど、もう日が暮れるのでここまでだ。これからフロリダに戻る」
とタイムアップ宣言。
「そっか〜。まともに泳げたのは一度だけ、、、これで終わるのか、、、 自然相手って、こういうものだね、、、」
とみな自分に言い聞かせながら、夕暮れに近づく海を眺める。
船のエンジンが高まりスピードが加速する。
さようなら、バハマ。
と、たそがれていると、、、
イルカがジャンプしながら私たちの船に向かって来る!
キャプテンから、
「前の方に大群がいる。海に入る用意して!」
と声がかかり、大急ぎで3点セットをつけて海に入る。
マダライルカたちだ。
最初は15頭くらいだったのが、どんどん数が増える。
人間の3倍くらいの数のイルカがいて、どこを向いてもイルカ。
夢のような気持ちで泳いでいると、あれ?
バンドウイルカも来ている!
バハマの海域ではマダライルカがフレンドリーで「バハマで野生のイルカと泳ぐ」という場合、それはマダライルカをさす。
バンドウイルカも棲息しているのだけど、彼らは船に付いて来たり水中で近くに来ることはあってもマダライルカのようにフレンドリーではなくそっけないし、マダライルカとバンドウイルカのテリトリー争いもあり、たいていはマダライルカよりも体が大きいバンドウイルカがマダライルカを威嚇して蹴散らしているパターンが多い。
でも、この映画のような出来過ぎドラマティックなエンディングシーンでは、マダライルカもバンドウイルカも日本人もアメリカ人も、みな海という境界も重力もない世界で、溶け合うようにひとつになって一緒に泳いでいた。
その数は50〜60頭。
時間の感覚もなく、どれくらいの時間泳いでいたのかもわからないけれど、気がつくとイルカたちは姿を消し、私たちはボートに上がった。
だいぶ時間オーバーになったので、すぐにボートのエンジンがかかり、船はフロリダへ向かって走り出す。
「夢なら醒めないで」
という気落ちでオレンジ色から夜の色に変わりつつある空と海を眺めていると、またイルカたちが戻ってきてボートの周りをジャンプしながらついてくる。
マダライルカもバンドウイルカも一緒に。
クルーたちは、
「こんなの、今まで見たことない」
と、興奮というよりは唖然としていた。
船の周りを取り囲むようについて来た50頭を超えるイルカたちは30分以上ボートと併走し、その後暗くなった海へと消えて行った。
興奮と、夢の中にいるような気持ちを抱えながら遅いディナーを食べ、眠りにつく。
またメキシコ湾流を横断するとは言え、来る時以上の揺れは想像していなかった。
ところが、フロリダに向かうにつれて海が大荒れとなり、キャビンの床に置いてあるスーツケースが揺れるたびに部屋の端から端まで滑り、その度に壁に当たって「ドーン、ドーン」と音がする。
私は一番揺れる船のへ先の小さなキャビンの2段ベッドの上の段に寝ていて、なんとか起き上がって丸い窓から外を見ると、もう真っ暗ながらも壁のように高い波が船に向かって来る。その度にデッキに波がザ〜っとかぶり後部へと流れて行く。
5メートルくらいあるかと思われる波が正面から船に向かって来るのを見て「もうダメだ」と目をつぶるも、船はなんとか波の上に乗り、ジェットコースターのごとく、ではなく、叩きつけられるように降下する。
船酔いしているのだろうけど、恐怖と闘いながらベッドにしがみついていなければいけないので気持ち悪さを感じる余裕すらない。
気持ち悪くなっても風に当たろうとデッキへ出れば真っ暗な大時化の海に放り出されるだけだし、トイレまで歩いてゆくことすらできない。
「フロリダまで、あとどれくらいなんだろう、、、」
と、メンタルも体力も限界に近づいたころ、船のスピードが落ち、エンジンが止まった。
そっと起き上がって外を見ると、1週間前に乗船したマリーナの風景。灯りの温かさに全身の力が抜ける。
「生きのびた」
そう思って夜明けまで数時間爆睡。

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9月14日(金)



夜が明けて、みんながラウンジに集まり、無事を喜びあう。
キャプテンに会うと、憔悴しきっていた。
「こんなコンディションは初めてだ。時化る予報ではぜんぜんなかったのに、どうして突然こんなに大時化になったのかわからない。今だから言えるけど、何度ももうダメかと覚悟した、、、」
と。
「おつかれさま」という言葉をかけたくても、この言葉にドンピシャの英語が見つからないことに歯痒い思いをしながら、何度も"Thank you"と感謝の気持ちを伝えた。
毎日オフィスの人と船のクルーは無線で連絡を取り合っていて、まだ空港は閉鎖されたままであることは知らされており、東京の旅行会社の方が心配して現地の日本人スタッフを港で私たちを出迎えるよう手配してくださっていたので、改めて日本語で状況を伺う。
「国際線はまだ全く再開の目処が立っていませんが、国内線の一部は今日から再開するかもしれないという話です。が、まだ混乱していて確かな情報ではないのですが」
と。
ハネムーンナーのうちの1組はクルーズの後で西海岸へ行く予定になっていたので、2人だけは「どうなるかわからないけど、とりあえず空港行ってみる!」ということで、無事を祈りながら2人を見送る。
「随時、みなさんのフライトについてチェックして連絡入れますので、みなさんはフロリダでの時間を楽しんでください」
と言って頂き、一路マイアミへ。
船を降りたフォート・ローダーレールは小さな町であまりやることもないし、日本へのフライトもマイアミからの方がフライトが多いこともあり、私はいつも船を降りた後のホテルは旅行会社にお願いしてマイアミで手配してもらっていた。
マイアミのホテルにチェックインして部屋のTVをつけると、CNN他ニュース番組は同時多発テロのニュースで持ちきりで、飛行機がワールドトレードセンターに突っ込んだ瞬間の映像や、その後にビルが崩壊する映像を繰り返し流しており、私たちは初めて飛行機がワールドトレードセンタービルにきれいに突っ込んで、ビルが崩壊する映像を見た。
「こういうことだったのか、、、」
それだけでも衝撃なのに、画面の下には、
"AMERICA'S NEW WAR"
と延々とテロップが流れている。どのテレビ局のニュースでも。
「え? まだテロかどうかも確定していないのに、どうしてもう戦争するって言ってるの?」
と、状況がよくつかめないながらも、何か大きな力が働いていることはわかり、空恐ろしい思いにかられた。
でも、参加者のみんなとは「いつ帰れるかわからないけれど、それはもう仕方がないことなのでマイアミで楽しもう!」とビーチへ繰り出す。
同じアメリカ東海岸でもNYの状況がウソのようなに能天気なマイアミビーチ。
冬には避寒のためにヨーロッパやNYからセレブが集まる華やかな場所で、マドンナ経営のバーや、グロリア・エステファン、リッキー・マーティンなどラテン系有名人経営のレストランも多い。
ショッピングしたり、おしゃれなカフェでランチしたりと能天気に過ごしていると、合間に旅行会社の方から「明日もまだ国際線は目処が立っていないようです」と連絡が入る。
空港へ向かったハネムーナーカップルからは「無事にロスに着いた」と私たちのホテルにメッセージが残っていた(スマホがなかった時代の連絡方法)。
空港は大混乱していて、自分たちのフライトが飛ぶのか飛ばないのかもわからずウロウロキョロキョロしていたら、日本語ができるどこかのエアラインのアメリカ人クルーが声をかけてくれて「そのフライトならこのゲートから出る。ギリギリだから走れ!」と教えてもらい、人をかき分けながら空港内を激走したらしい。バハマ1週間+その後西海岸でも数日=トータル2週間ほどの海外旅行、しかも男性の方は人生初の海外旅行だったのに、しっかり者の奥さんから、
「荷物は最低限! 手荷物だけにしな!」
と指令が出ていたことが功を奏し、預ける荷物がなくバックパックのみだったので大混乱の空港内でも激走でき、ギリギリにゲートに着いて、すぐに搭乗できたのだと。
持つべきものは、しっかり者の妻ですな。
マイアミ残留組は、陸地に戻ってホッとして、しかも日本にいつ帰れるかわからないということで、「じゃあディナーはジャパニーズフード食べとくか」となんちゃってジャパニーズレストランでアメリカン寿司ディナー。
「早起きしなくていいから夜遊びしよう」と、ノリノリのダンスクラブへ行ってナイトライフを楽しんだりも。
9月15日(土)
少し離れたショッピングモールへ足を伸ばしたり、のんびり過ごしていたら旅行会社の方から連絡があり、
「明日はみなさんのフライト飛びそうです」
と。
「やっと帰れる」
という安堵の気持ちと、
「もうちょっとマイアミでみんなと楽しく遊んでてもいいんだけど〜」
と後ろ髪引かれる気持ちに揺れ動きながらも、ちょっとおしゃれなレストランで最後の晩餐。
逃げ場のない船という空間で1週間を過ごし、しかもちょっとしたドラマを共有すればなおさらのこと、船を降りる頃には家族か親戚のような気持ちになっているので、いざ「明日でお別れ」となるとお名残惜しい。
ただでさえアメリカ東海岸から日本へのフライトは朝早いのに、今回はまだ空港も相当混乱しているだろうと仮眠程度でホテルをチェックアウトして空港へ。
着いてみると混乱しているなんてものじゃない。カオスx100万倍。
何日も空港で寝泊まりしてスタンバっていたと思われる疲れ切った人たちが、あらゆるところの床やベンチでゴロゴロ寝ている。
そしてどこが先頭でどこか最後尾なのかわからない超長蛇の列。
ゲートを探すも、セキュリティーチェックの列が隣の隣のターミナルまで並んでいてスーツケースを引きずりながら延々延々と歩く。最後尾と思われるところに着き係員に「Tokyo? ここに並んでて」と言われて待っているものの、列は全く進まない。
「もう搭乗時刻まで時間がないんだけど!!」
と何度か係員に詰め寄っても埒があかず、私が空港内を激走して係員と思われる人に片っぱしから声をかけ、やっと
「そのフライトなら、今すぐこのゲートへ行け!」
と教えてくれた人がいて、激走してみんなのところに戻り、みんなと激走して言われたゲートに向かう。
日本へ戻る人たちはなんとか無事搭乗し、機上の人に。
が、1人だけ大混乱のど真ん中NYへ向かうという自ら渦中に飛び込む人がいた。
地下鉄サリン事件の時に、あの地下鉄に乗っていてサリンを浴びた経験の持ち主の前出の猪股監督(健康被害がなかったのが不幸中の幸い)なので、船の上で9.11のニュースを聞いた時に、
「えっ、僕この後NY行く予定なんだけど、、、」
と彼がつぶやいた時、みんなで、
「それ、絶対無理ですよ」
と言ったものの、
「いや、絶対に行きますよ」
と決心固く、この日JFKが初めて再開し、無事にNYへ。
私はその頃はアメリカに住んでいたので、全員を見送ってからフィラデルフィアへ戻ったのでした。


9月16日(日)
数日後
2025年9月11日(木)
10日以上留守にしていて家に日本食が尽きていたので、車で2時間ほどのところにあるニュージャージー州の日本のスーパーへ買い出しに。
このスーパーはハドソン川沿いにあり、駐車場から川の向こうにマンハッタンの高層ビルが見える。
駐車場の金網フェンス越しにはワールドトレードセンターからまだ煙が立ち昇っているのが見えた。
そしてフェンスにはあの日、川を渡って向こう側へ行ったまま戻って来ていない人たちの写真や、彼らへの家族や友達からのメッセージがたくさん貼られていて、地面には小さなキャンドルが並べられている。
日本でも千葉や埼玉に住んで都心へ通勤するように、ここでも対岸のニュージャージー州に住んでマンハッタンに通勤する人が多い。
小さなお子さんや赤ちゃんを残したままと思われる方の家族写真や、小さな子どもが書いた「mommy, come home!」というメッセージには胸が締め付けられた。
船を降りてからTVで何度も何度も繰り返し見た映像は、あまりにも「映画のよう」すぎてリアルに感じられないでいたけれど、こうやって目の前で煙が立ちあがり、すぐ横で泣きながらキャンドルに火を灯している人がいると、
「やっぱり本当に起こったことなんだ、、、」
と、怖いような、悲しいような、でもまだどうしてこんなことが起こるのが理解できず、さらに気持ちは混乱する。
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あれからもう24年が経つ。
あの時、陸上では同じ人間同士が人種や宗教の違いからビルを破壊し、たくさんの命を奪う悲惨なことが起こり、まるでシンクロするように9月11日のバハマの海は喪に服しているかのように暗かった。
その後のマダライルカとバンドウイルカという違う種類のイルカたち、アメリカ人と日本人という違う人種の人間たちが、なんの境もなく海で一溶け合うように泳ぐというコントラスト。
「こんな経験をしたのだから、人間同士も争わず、他の生き物たちとも同じ地球の仲間として生きられるような世界を作る役に立ちたい」
と思ったのだけど、24年後の今、残念ながら世界はさらなる分断や差別が広がり、戦争もなくならないどころか、
「日本もどんどん軍事化が進み、いつ徴兵制度が始まってもおかしくないのではないか」
と真剣に心配してしまう状況になっているし、気候変動も動植物の絶滅も進む。
無力感に苛まれてしまうけれど、こうやって久しぶりにあの9.11の週のジェットコースターのような日々を思い返して、
「暗い土砂降りの後には虹が出る。1週間ほとんどイルカを見なかったけど、最後にドラマのように現れてくれる」
と、どん底に向かっていっているような国内外の政治や外交の状況も、「底を打った後に、どんな世界にしたいのか」のビジョンを持つ人たちと繋がって、実現に向かって小さくてもいいからアクションを続けていきたいと、思いを新たにしています。