
Nature Program to Swim with Wild Dolphins in the Ocean
Delphines




1993 - 2015

海で野生のイルカと泳ぐ自然体験プログラム
現在The Blue株式会社の代表を務める三木真理子が、1994年から2015年まで20年以上に渡って毎年夏に行っていた伊豆諸島・御蔵島で海で野生のイルカと泳ぎ、湧水が豊富に湧く深い森を歩き、夜は満点の星空を眺める、五感を超えて大自然を体感し「自分もこの大自然の一部であることを感じる」自然体験プログラム「Fell the Nature in 御蔵島」、カリブ海バハマで1週間ボートでの船上生活をしながら島陰が見えない360度青い海と空に囲まれた海域で過ごし、イルカが来たら海に入ってイルカと泳ぎ、風が強い時には島に上陸して島の生活や文化を体験する'Dolphin Cruise in the Bahamas'。
これらのプログラムを「Delphines(デルフィネス)」という故ジャック・マイヨール氏の造語「homo-delphinus(イルカ人間)」から取った名前で行っていました。
SNSの影響や、東京から御蔵島へのアクセスが格段に良くなってイルカと泳ぐために島を訪れる人の数やドルフィンスイムのボートの数も増え、飲食店やお土産物屋さんもできて観光地化するにつれ、便利で楽しくはあるけれど私が好きだった島の雰囲気がだんだん変わってゆき、またバハマでお世話になっていた信頼できる船は大型ハリケーンで壊れて船の会社が廃業してしまったりで、「Delphines(デルフィネス)」の活動は2015年に終了しました。
その代わりに「たくさんの楽しい時間を過ごし、大切なことを教えてもらった海や自然に対して恩返しをしたい」という気持ちで今の仕事やボランティア活動を行っています。ベースとなっている活動について知って頂ければ幸いです。
三木真理子
HISTORY
1991年〜1992年
フロリダ留学
大学時代に沖縄でスキューバダイビングのライセンスを取り、その後も沖縄の離島に潜りに行き「自分が暮らしている陸の上とは全く別の世界があったんだ!」と感動。
その頃に潜った石垣島の珊瑚の海は、その後に潜った世界各地の海(ハワイ、フロリダ、カリブ海、中米、オーストラリア、タイなど)のどこよりも美しかった。
卒業後は都内の一般企業の広報部で働き始めたものの、やりがいを感じられない日々の中で、ある日TVで海の生物に関する番組を見ていた時に青い海でイルカが泳いでいる映像を見て、胸の奥をギュッと掴まれたように涙が止まらない経験をする。
特にそれまでイルカに興味を持ったこともなかったので「自分の気持ちがなぜそこまで深く動かされたのか、その理由が知りたい」と図書館でイルカに関する本を読み漁るものの、水族館の方が書かれた生態学的な本か捕鯨に関する本しかなく、自分が求めている答えは見つからなかったが、ある本の中に「海外では野生のイルカの研究も行われている」と書かれているのを見て、自分の中の何かが「野生のイルカ」という言葉に反応。
まだネットもない時代ながらも「どこで野生のイルカが行われているか」を調べ、「ハワイやオーストラリアなど日本人がたくさんいるところより、旅行では行きずらくて日本人が少ないところに行こう」とフロリダを選択。
OL生活で貯めた少しの資金しかなかったので学位を取ることは考えず、学費が安い小さな大学で海洋学やアドバンス・スキューバ、レスキューダイバーなどのライセンスが取れる授業を取りながら(これで単位が取れるところがフロリダの大学らしい)、フロリダ各地のイルカの研究施設を見て回る。
すぐ近所のビーチでも当たり前にイルカが見られ、買い物へ行くときに通る橋からもイルカが泳いでるのが見えたり、入江に住む知り合いの家のすぐ前までイルカやマナティーが来ても、地元の人たちはそれが当たり前の風景として特に騒ぐこともなく、イルカが身近な存在になったものの「水中で会ってみたい」という思いが募り、Florida KeysにあるDolphin Research Centerで一般向け1週間のイルカや海洋環境について学ぶプログラムに日本人として初めて参加。
浅瀬を仕切って水族館をリタイアしたり飼育下で生まれて野生では生きられないイルカたちが飼育されており、観光客が水中に入って背びれに捕まって泳げるプログラムなども行って運営資金を作っていた。
1週間のプログラムの中で水中で背びれにつかまって泳ぐ(というか引っ張られる)体験はしたものの、水族館をリタイアした後も餌をもらうため、人間を喜ばせるためにそんな芸をやらされているイルカたちが可哀想としか思えず、全く楽しめなかった。
そんな話を正直にスタッフにしたところ「バハマでは海で野生のイルカと人間が泳げるところがある」と教えてもらい、「それだ!」と思ってオペレーションしている船の会社に連絡をとったものの、「カリブ海というと1年中泳げそうなイメージがあるかもしれないけど、残念ながら冬場は季節風で風が強く海が荒れるので船は出せない。次のオペレーションは1番早くて5月」と言われ、3月までの滞在費しか残っていなかったので、大きく後ろ髪をひかれながら帰国。
1993年5月〜9月
伊豆半島
日本に戻り「何かイルカに関係することがしたい」と思いつつも「水族館のイルカショーのお姉さんは、なんかちがう、、、」と思い、またOL生活を送っていたところ、ハワイで野生のイルカと泳いできた女性たちと知り合い、「日本だって海に囲まれているんだから、イルカと泳げるところがあるんじゃない?」と、GWの休みを使って小田原から下田まで伊豆半島東海岸を南下しつつ、釣具屋さんや港の漁師さんなどにアポ無しで「この辺でイルカ見ますか?」と声をかけ、「おまえら、グリーンピースのやつらか?」と警戒されたりもしたものの、1人の漁師さんが「そんなにイルカ見たいなら、御蔵に行けば島に付いてるイルカがいるよ」と教えてくれる。
「御蔵」と言われても、ネットもGoogle mapもない時代。
「どうやって調べようかな」と思っていたら、伊豆から戻った翌日に、日本にできたばかりの「アイサーチ・ジャパン」というイルカやクジラについての調査をする海外の団体の日本支部のメンバーになった知り合いから電話があり、「三宅島の近くの小さな島にイルカがたくさん住んでいる島があるらしくて、今度アイサーチの人たちで下見に行くんだ」と言われ、「もしかして、その島って御蔵島っていう名前じゃない!?」とびっくり。
数週間後にはアイサーチの数人に混ぜて頂いて御蔵島へ行くことになった。
それにしても、この頃ほぼ同時期にイルカに興味を持って動き出した人たちがいて、その中心になっていたのが全て女性だったことは今考えても興味深い、、、。
御蔵島
1993年5月・8月
1993年5月22日。
当時は竹芝桟橋からの大型客船は御蔵島にはとまらず三宅島から八丈島へ行ってしまう航路だったため、三宅島で下船し、数時間待って「えびね丸」という小さな定期船に乗り換えていた。

えびね丸

初めて上陸した時、雲が厚くかかっていて薄暗く、「獄門島みたいだな」と思った、、、
今よりも里へ上がる坂が急だった。

「ドルフィンスイム」という言葉すらなく、島には外からの人を乗せて海に出てくれる漁師さんもいなかったので、アイサーチのメンバーとして来島していて小笠原などで操船経験も豊富だった水中カメラマンの宇津孝さん(故人・涙)が島の漁師さんから船を借りて操船してくれた。

(左から)栗本道雄さん、アイサーチメンバー、宇津(岩谷)孝子さん、アイサーチメンバー、三木、鯨類研究者・篠原正典さん

初めて水中で見た日本の野生のイルカたち。
初めての野生のイルカとの水中での出会い
小さな船外機で海に出る。
東回りで島を回るも、島の半分までは全くイルカを見かけず、初めて見る黒潮の海の青の深さと断崖絶壁の島の岩肌のゴツゴツさ、その岩肌のあちこちからから湧き水が流れ出ている光景に目を奪われていた。
港の反対側へ回った辺りでイルカの背びれを発見。操船していたアイサーチ・ジャパンの宇津さんが注意深くイルカの様子を観察し、しばらく待ってから「入ってみてもいいよ」と声をかけてくれる。
水中に入る。
曇っていたので暗い。
じっと目を凝らすと、遠くからボォっとイルカの白い吻の先が丸く点々と見えて近づいてくる。
10mほどまで近づくと、1頭のイルカが私の真正面で止まり、ソナーで私をチェックしている。
私も水中で立ち泳ぎをしながら、じっとしている。
初めて水中で、しかも真近で見る野生のイルカ。その時に私の中に沸き起こった感情は「きゃ〜!念願のイルカさ〜ん💕」とか「かわい〜❤️」ではなく、なぜか「なつかしい」というとても静かな感情だった。子供の頃に仲良くしていた友だちと、ものすごく久しぶりに再会したときのような。
なぜ「なつかしい」だったのか、その理由はいまだにわからないけれど、その瞬間のことは写真で切り取ったかのように今でも鮮明に覚えている。
その後も何度かイルカの群れに会って海に入ったが、まだイルカたちは今のように人に積極的に近づいてくるわけではなく、「ちょっと距離を置いて観察する」という感じで、私たちもそんなイルカたちを観察するという「本来の野生動物と人間」の関係だった。
東京に戻って一緒に伊豆半島で聞き込みをした仲間に御蔵島のイルカのことを話すと「私たちも行きたい!」となり、8月に再度来島。
その時はアイサーチの方々が空家を借りて合宿生活されていたので、またそこに混ぜて頂いて数泊滞在。
その時、イルカたちの興味深い行動があったのだけれど、長くなるのでまた別の機会に。
そうやってイルカが目当てで外からの人が来始めたものの、島の方からは「イルカを見に来たいと言われても、宿もないし受け入れができないから、人にあまり言わないでほしい」と言われ、「この島にまた来ることはむずかしいかもしれない」と思いつつ島を後にした。
1993年6〜8月
伊豆・下田
伊豆半島での聞き込みで「伊豆半島周辺でもイルカを見ることは多く、川奈ではイルカ漁が行われている」ことも知った。
実際にスーパーの魚売り場では「イルカ」と書かれたイルカの切り身が「今が旬」と書かれたポップと共に鮭やブリなどと並んで売られていて、「ここではイルカはかわいいとか一緒に泳ぎたいという対象ではなく、あくまでも漁業の対象、食料なんだな」という現実を知る。
とは言え「船を数時間走らせれば、イルカが見られるかもしれない」ということで、御蔵島にすぐまた行かれなくても「まずは伊豆半島から海に出てみたい」と外洋に近い下田の港へ行って船を物色。その中に漁船に混じってクルーザーがあり、ちょうど港に戻ったところでオーナーさんが船を洗っていたので声をかけ、「下田からドルフィンウォッチングに出てくれる船を探している」と伝えると、漁港では滅多に見かけない「東京から来た20代の女性たち」ということが功を奏したのか「自分は地元の人間ではなく普段は横浜に住んでいて、釣りが好きで船をここに置いている。普段は釣りのお客さんを連れて海に出てるけど、海が好きな人を増やしたいから、人が集められるならチャーターでドルフィンウォッチングやってあげるよ」と言って頂き、6月から8月の間に何度か「イルカ見たい!」という知り合いたちと下田から海に出た。
最初にクルーザーで外洋に出て、海の上で風を受けながら青空を眺めていた時、大袈裟だけど天啓のごとく「自分も自然の一部なんだ」と気がついた。
一度ハンドウ(バンドウ)イルカの群れを見たのと三宅島の近くでハナゴンドウの群れを見ただけだったけれど、私同様に他の人たちも「陸地から遠く離れて海に出る」という体験だけでも十分に大きなインパクトがある体験になった。

(左)三木 (右)一緒にデルフィネスを立ち上げたスミちゃん

ハナゴンドウを見たあたりの三本岳
1994年〜2015年
「FEEL the NATURE in 御蔵島」
「外からたくさん人に来られても困る」という島の人の懸念をよそに、1993年の秋〜冬の間にダイビング雑誌やTVで御蔵島のイルカのことが取り上げられる。
御蔵島には宿もダイビングショップもないけれど、すぐ近くの三宅島には民宿もダイビングショップもあり、東京など内地のショップがたくさんツアーも組んでいることから、「これは来年のGWくらいから、三宅から船がたくさん来ることになるだろう」という状況になり、御蔵島の中で「御蔵島イルカ協会」が設立され、アイサーチの方々が海外の研究者などの知見も含めてアドバイザーとなり「追いかけない」「餌付けしない」などの基本ルールが定められた。
宇津孝さんから「僕たちアイサーチはリサーチが目的なので一般の人向けのツアーなどはやらないけど、他の島からたくさん船が来るなら御蔵の中でもちゃんと受け入れ体制つくった方がいいから、本当にイルカが好きで去年から来てる三木さんたちがやればいいよ」と後押しもして頂き、「空き家を借りて改装し、イルカの船も出してあげる」と島の元さんと言う方が協力してくださることも決まり、一緒に下田からのドルフィンウォッチングクルーズをやった中山すみ子さんと私が中心となり、炊事ほかを手伝ってもらうスタッフを集め、1994年から2015年まで22年に渡って「FEEL the NATURE in 御蔵島」と言う名前で、イルカだけでなく、深い森や湧水など島の自然を丸ごと体感する自然体験プログラムとして行うことになった。
このあたりの経緯はものすごく長くなるので、御蔵島におけるドルフィンスイム創成期について興味がある方は、2023年3月発行の「地域人88号・東京島旅」(大正大学出版)の御蔵島のページをご覧ください。30年来御蔵島で毎年一緒にイルカと泳いでいた友人の柳瀬博一氏(東京科学大学リベラルアーツ研究教育院教授・メディア論)に取材して頂き、詳細がデータと共にまとめられています。


歴代の船頭さん

元さん(故人・涙)。ギョサンをクッションにして正座して操船するスタイル。

元さんの弟さんの敦さん(故人・涙)。残念ながら操船しているところの写真がなく、、、

この頃の船は小さくて定員が5人程度だったので数隻の船に分かれて海に出る必要があり、スタッフの知り合いのマサを小笠原から呼んで船頭をしてもらった。

道雄さんとガイドの加藤君。道雄さんにはその後もずっとお世話になりました。ガイドの加藤君はその後独立して船頭になり、お二人ともいまだに現役。
歴代の宿


残念ながら外観がわかる写真が1枚もないのですが、最初の2年は築年数不明の平屋の古民家で合宿生活。長年空き家になっていたため、ドアや窓もちゃんと閉まらず、トイレは外の仮設。エアコン無し。虫は入りたい放題で「自然との共生って、こういうことか」と悟りの境地に達するレベル。
今はもう取り壊されて更地になっています。

移住者のタミちゃんが古民家で始めた民宿の庭にはティピがあった。


道雄さんが民宿「鉄砲場」を始めてからは、宿も船も道雄さんにずっとお世話になりました。私自身もスタッフも常連の参加者のみんなも家族ぐるみでお世話になり、足を向けて寝られません。U字溝BBQも楽しかったな〜。
イルカ




これは全て1994年の写真。最初の頃は好奇心旺盛な大人の若い個体だけが近寄ってきたが、だんだん赤ちゃん連れも寄ってくるようになる。
その後のイルカの写真は、後日ギャラリーページを作ります。
こんなこともやっていた

沢に竹を組んで湧水で流す流しソーメン。贅沢だったけど、その後、台風で沢が崩れてできなくなった(泣)

お箸が足りないと、すぐナイフを出して竹でお箸を作ってくれた元さん。
